
地域の葬儀について抜粋
静かな MIDI

中 伊 豆 町 誌 よ り
地 域 の 葬 儀 に つ い て 抜 粋
○ 葬 送 関 係
一 、 葬 送
死の直前病人が危篤状態になるとムズカシイといって、
隣組の人たちが駆けつけ、親戚や知人に使いを出す。
いよいよ臨終の時には、近親者によって末期の水で唇を湿す。
死の直後、息を引きとると枕直しと称して、すぐ死者を北向きにし、
両手を合掌に組ませて顔を白布で覆う。
また枕元に屏風を逆さにして立てる。
更に枕元、胸の上に魔よけの刃物などを置く。
これは猫が死体をまたぐと、死者が起き上がるので、
それを防ぐためだともいう。
そのほか、枕だんご、一膳飯、水、など供え、線香をたく。

二 、 ヒ ト
寺や親戚、知人に死亡の知らせをするのが、
知らせに行くのをヒト(飛徒)という。
またシラセともいう。
これは必ず二人で一組で、途中の寄り道を禁ずる風習がある。

三 、 通 夜
知らせを受けた親戚、知人の者は、通夜にあつまる。
近隣の人も、クヤミとかクヤミミマイといって死者の宅に集まる。

四 、納 棺
納棺の前に湯灌といって、死者の体を湯で拭き清める。
湯灌は近親者が腰にわら縄を巻いて行い、湯は床下に捨てる。
この後は死者に、さらし木綿の着物を左前に着せる。
死装束はすべてモノサシ鋏を使わず、糸尻は結ばない。
経帷子や裃を着せ、白の手甲、脚絆、底無しの白足袋をはかせ、
首には頭陀袋をかける。
袋の中には、死者が生前に愛用していた品や、
六文銭を入れるが、最近は六文銭を書いた紙片を入れる。
杖を持たせ、枕には茶殻を入れる。
死出の旅支度ができると最後のお別れである。
棺のふたは石で打ち付ける。

五 、野 辺 送 り
出棺に際して、仮門(かりかど)などと呼ばれる門型を
タケやカヤで家の玄関につくり柩を屋外へ運び出すときくぐらせ、
すぐに折り壊す風習や、死霊が迷い戻らないように、
柩を前庭又は寺庭などで、
三度右回り(右肩を内にして)することなどが行われている。
葬列は死者を埋葬地(又は火葬場)へ送るための行列であり、
葬儀全体のうちで最も重要な行事の一つである。
葬列には幾つかの重要な役割がある。
それがどの役とどの役で、
遺族の誰がそれらの役につくかということは、地区ごとにきまった習慣がある。
また、墓地から帰った人々は、塩や水で身や手足を清めて家に入る。

六 、土葬、火葬
本町では明治中ごろ、柳瀬と関野に火葬場ができた。
その頃は地域によってはそこを利用して火葬したり、
あるいは土葬したりまちまちの方法で埋葬していた。
火葬が一般的になったのは、
昭和三十年ごろに町営の火葬場が出来てからで、
以来ほとんどが火葬(の方法)によっている。

七 、ハマオリ
埋葬を終えると、近親者がハマオリ(浜下り)称して、
白木の位牌や線香、団子などを川辺に持っていってみそぎを行う。

八 、イ ミ ア ケ ( 忌 明 け )
一般に四十九日目又は五十日目を忌み明けとしていたが、
そうした所でも初七日を重要な区切りとし、
第一弾の忌み明けとする気持ちが強かった。
しかし、近年忌みの観念が衰退し人々の生活も忙しくなり、
喪中の期間は次第に短縮されて、
四十九日忌を三十五日忌にあわせ、
更に百ヶ日忌を繰り上げて営んでしまうことが多くなった。
四十九日忌というのは、
もとは親の死にたいして子供が服すべき忌みの期間であって、
孫、兄弟、甥姪、従兄弟、などが服すべき忌みの期間は、
それぞれに差を保ちながら、もっと短いものである。

九 、 年 忌
忌明けの後は満一年目を一周忌、満二年目を三回忌、
それ以後は七回忌、十三回忌、十七回忌、を重ねて、
二十五、三十三、五十回忌まで行うのが通例である。
最近では(寺により)百回忌まですることもある。

十 、 墓 じ る し
一般民衆の墓地に加工した石碑が建つようになったのは、
近世以降のことであろう。
したがって古い時代、一般的にドマンジュウという
土塚の上に石を一つのせるとか、木を一本たてておく程度で、
埋葬地点は、次第に不明になることが多かった。
石碑を建てるにしても三回忌や七回忌はおろか、
十三回忌、十七回忌にするところもあり、
早く建てると、もう供養してくれなくなるといって仏が泣くなどと称した。
石碑は墓地の印というよりも、
むしろ供養の為と考えられるのである。
初めは祭るたびに生木や棒などお立てていたのが、
卒塔婆となり、板碑となり、石碑に変わっていった。

十 一 、 卒 塔 婆
一般的にソトバは上部を塔形にした細長い板や角柱で、
梵字や経文などを書き、供養のために墓の後方に立てる。
最終の年忌〔五十年〕には、
全国的風習として枝葉のついた生木の卒塔婆を立てる。
これを俗にウレツキスギといい、マツ、モミ、ヒノキなど針葉樹、
又はシイ、クリ、ヤナギなど落葉樹まで木の種類は多く、
だいたいめでたい木が用いられている。
このような枝葉のある生木を立てることは、
もと墓地に木を植えた風習に由来する。
それをトウバと呼ぶようになったのはおそらく後のことであろう。

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平成二十年に入って葬儀も著しい変化のきざしあり。
葬儀じたい省略(出来ない生活環境にいるため)、火葬後納骨のかたちが数件あり。
寺として対応追いつかず、炉前葬儀等にて儀式のかたちを残す努力している。
原因として、布教の徹底が出来ていない。
経済的負担が生活を圧迫している。
個々の生活優先の為近隣の人の協力をお願いしにくい。
知らない人が増えている、
率先しての助け合いが出来ない環境になっている。
その為昔ながらの助け合いによる葬儀が出来にくい環境になっている。
葬儀さんにお願いすれば、ある程度の問題(通夜葬儀の儀式支度一切)は解決出来るが
経済的負担が大きい。
その結果
寺に入るお布施、供養料が少なくなる、出せなくなる
体裁をととのえる為に借金して葬儀する事になる場合もありえる。
お布施が出せない(用意出来なかったので)から、
法事が出来(納骨だけとか、塔婆だけ書いてくれとか)ないと言う人もいる。
基準があっても意味を持たない、型に当てはまらない事が増えている。
お金でなく、現物(玄米、餅米、野菜、果物、貰いもの油、洗剤、乾物等)の布施もある。
お布施が出せないほど葬儀屋に負担するなら寺を使ったら負担少なくなると話しているが、
本堂利用して通夜葬儀、仕出し屋さん(http://www.tochuken.co.jp/houji03.html)の食事取り寄
せも出来るが、
それでも負担が多いのか数件程度しかおこなわれていない。
寺の収入は低迷状態。

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